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2011年03月

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支援物資

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先日、みんなに支援物資提供を呼びかけたところ
たった2日間でハイエース1台分(段ボール20箱)の
ウエアや肌着・防寒具・寝具などが集まった。

物資は石巻青年会議所の倉庫へ持っていき
男女・アウター・インナーなどの仕分け作業を行い
石巻を中心に避難所へ送られる予定です。

お役に立てれば良いですね!

協力してくれたみんなありがとう!!!
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震災翌日に届いた新聞

震災後翌日朝に新聞が届きました。

ライフラインが寸断され
情報が殆ど入ってこない中で
届いた新聞は非常にありがたかった。

しかし、その河北新報に掲載された写真は目を覆うものでした。


河北新報掲載 【共同通信社/AP通信】 名取市閖上 左上に見えるのが閖上海岸に渡る橋。

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河北新報掲載 【ロイター通信社】 岩沼市相の釜地区 仙台空港から撮影

携帯の電波が全く入ってこなく、情報源はこの新聞とラジオのみ。

「仙台市若林区荒浜地区には200~300体の遺体をあるとみられる」
「南三陸町は人口の半数の10,000人以上の安否が確認されていない」
「新地町では常磐線の電車が押し流されるなど、不明者多数」
「仙台港ではコンビナートが燃えている」

活字と音声の情報では限界があり、
どれだけ、どのようにどうなっているのかは
予測もつかない状態。

空には自衛隊や取材のヘリが飛び交い
街は水や食料を求めて車やバイクで混雑し
先ずは自分達の身を守る事だけで精一杯だった。

電話もメールも繋がらない中で
親戚の安否確認に行った亘理町では
浸水により道が至る所で寸断され
被害の大きい鳥の海までは全く近づく事ができません。
町内の小学校や中学校を手当たり次第廻りましたが
避難所を特定するのにかなりの時間がかかりました。

でもね、日本人って凄いと思う。

私も給水所やスーパー
避難所などに何度も足を運びましたが
災害にあって自分の家族も見つからない
食べるものや飲むものがない中で
みんな文句も言わず必ず1列に並び
何時間も待つ。

予想を遥かに超える物資不足。
他の国では間違いなく暴動が起きているでしょう。

「待つ」
待つことができるって素晴らしいと思いました。

そこには思いやる、譲り合うという意識が
日本人の心に宿ってるんですね。


「大丈夫!」

「ありがとう!」

被災地で良く聞く言葉です。
他人を敬う気持が元気をくれます。
苦しい時こそ優しくなれる日本人って素晴らしいですね。

しかも、東北人は先祖から非常に強い人種ですからね。
がんばります!

ありがとう。

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

震災から1週間が経とうとしています。

各方面から安否を気遣う電話がありました、嬉しくて涙が出ます。

家族・親戚・従業員とも全員無事です。

ご心配いただきありがとうございました。

この7日間、非常に重い時間でした。

所在不明だった叔母の安否も昨日確認でき、やっと落ち着くことができました。




地震当日、

私は全日本選手権とナショナルチャンピオンシップで白馬にいました。

最終日、表彰式も終り、帰り支度をしていると、

突然、「加藤 家に連絡しろ!」「加藤さん宮城で大きい地震があったみたいですが大丈夫ですか?」

と多くの方が私のところへやってきました。

正直、宮城県では多少の地震は日常的に起こっており「そんなに大げさな」と思っていましたが、

i-Modeで現実を知りました。非常に大きな地震があり津波が襲っていると。

電話全く繋がらず、メールが多少送れるくらいで、家族の安否がわからない状態が長く続きました。

白馬から電車で仙台に帰る予定でしたが、JR全線不通で復旧時期未定という事で、

仙台に車で帰る仲間に便乗し北上しました。

車の中で見たニュース映像。

いつも見ている風景が津波で流され、全てをのみ込んでいく。

黒い水の塊が止めどもなく押し寄せる映像をテレビで観ていると

どこかで現実の事とは思えない自分がいました。

これは現実に起きた事なのですが、ヴァーチャルにしか見えません。

あまりの光景に拒否反応を起こしたのでしょう。

従業員全員にメールを送り安否確認したが

数人しか返信が来ず不安な時間を過ごしました。

仙台に到着したのは午前0時頃でしたが、いつもあんなに煌びやかな仙台市街が真っ暗闇。

コンビナート炎上で東の空だけが淡く朱色に染まり、

その光景は非常に恐ろしく、これが現実なんだと改めて実感しました。


自宅は高台にあり大きな被害もなく、家族も全員無事でした。

津波被害が報告された、実家のある岩沼市の両親には一向に連絡がつかず、

波打つ道路を進みやっと両親の安否を確認しました。

ずっと安否確認が取れないスタッフがおりましたが、14日朝に全員の無事を確認しました。

ただ、いまだ電話が通じないところも多く、スタッフの声が聞けていません。

仙台市内では徐々にライフラインが戻りつつありますが、

宮城県の多くの地区で、水道、ガス、電気がストップしている状況です。

親戚の安否確認で行った亘理町は海から6km以上水浸しで、家が崩壊してしまったところや、

津波で押し流された車が至るところにありました。

ただただ、多くの方の無事を祈ります。

一人でも多くの方の無事を。。。

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